住谷社長

代表取締役・住谷 淳 Atsushi Sumiya

確固たる志を携え、さらなる向上を目指していく五つ星のサービス

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家業を継承した経緯を教えてください
住谷自動車の家業を継ぐ気持ちは、実はあまりなかったんです。むしろ学生時代から漠然と「自分で会社を興したい」という想いが強くて。学校卒業後は、何となくという感じで家業へ整備士として就職しました。しかしですね、ささいな理由で父親とケンカをして、一度辞めてしまったんです。その直後に会社勤めを経験しました。「家業を離れ、一花咲かせてやる」の想いを抱き、いったん家業を離れることにしたんです。
そこから、どのような形で復帰したのですか?
茨城全県を巡る営業職の強い仕事だったんですが、1年半程働いたタイミングで、東北への転勤話が後上がりまして。東北はさすがに遠いので辞めようと(笑)。それで再び家業に潜りこんだんです。何事もなかったように普通にツナギを着て、ある朝から働き始めました。父親も何も言わずに受け入れてくれたんですね。きっと「一度、他所で飯を食ってきてどうだった?、成長してきたか?」という気持ちだったんじゃないかと思います。
家業へのUターン前後で、考えに変化はありましたか?
サービス業についての想いが芽生えましたね。当時の自動車整備業には、ある種の職人気質でぶっきらぼうな接し方が横行していたんです。ですから、サービス業としての面で住谷自動車のやり方に違和感を覚えたうえでの復帰でした。このままでは、いずれ家業がジリ貧で途絶えてしまう。そんな危機感はありましたよ。でも、戻ってきてすぐに大掛かりな改革はできない。その第一歩として、ポップを用意し、エンジンオイルやラジエーターの冷却水など店頭に並べる商品のキャンペーンを開始しました。まずは、できることからやろう、と。
本格的に改革が始まったのは、どの時期からですか?
創業者である父親が15年前に他界し、跡を継ぎました。サービス業としての取り組みを強く意識したのはその頃だったと思います。具体的に徹底した形になったのはここ10年ぐらいです。自分ではそうは感じていないんですけど、周囲には「結婚を機に変わった」と言われています。
その当時、周囲からの反発はなかったのですか?
ありましたよ! 新しい試みとしてのプロジェクト立ち上げをきっかけに「そんな面倒なこと、やってられるか」と無断で辞めた社員もいました。それも理解できないことじゃないんです。それまでやってきたやり方を捨てて、お客様へ真心込めて「ありがとうございました」と言いいなさい、となっても、急には切り替えられないと思いますしね。でも、だからといってそれまで同様のなあなあな形でやっていけるはずもない。私も含め、みんな辛いかもしれないけど、頑張って取り組んでいこう。今というタイミングは、信念を曲げず、そして浸透させるべき時期だと考えます。幸いなことに現在のスタッフは、各々が会社としての理念を理解して、成長してきてくれている。その点はものすごく感謝しているし、経営者として嬉しいことですよね。
お客様の声として嬉しいのは、どんな言葉ですか?
それはやはり「ありがとう」、「頼んで良かった」という言葉ですね。余談になりますが、以前、修理したお客様の車を納車して、その方から5分後に電話があったんです。何かミスがあったのかと不安になったんですが「いやあ、すごく調子がいいよ。本当にありがとう」と言われました。その時はホッとするやら嬉しいやらでしたね。これからも住谷自動車は、気軽に、そして安心して、たくさんのお客様にご利用いただける質の高いサービスを目指して展開していきます。
取材記者雑感
住谷さんは、ボクが今まで出会った中での、最も気遣いにあふれ、心配りを実践している 人物だと思う。このウェブサイトづくり以前から、住谷さんとは面識があるのだが、毎回お会いするたびに、数々の配慮に助けられ、また「どうしてこんな細やかな部分にまで、この人は気づくのだろう」と驚かされてきた。気づくだけではなく、必ずや行動に結び付ける点も、凡人である筆者にとってはさらなる驚きの二重奏。天性として、きっと住谷さんは、思いやりだとか優しさだとか、そういった「あたたかさ」を他の人より多めに持っているんだと思う。メンタル面の器の大きさ。そこをすごく感じる。一般論として、時に親切心は傍受する側にとって負担になったりすることもあるのだけれど、住谷さんから受ける配慮でそれを感じたことは一度たりとも、ない。実にスマートでさりげない思いやり。住谷さんは、一緒にいる人間を、確実にハッピーへと導いてくれる存在だ。だからそばにいると、とても居心地がいい。

取材記者:飯田寿

取材日:2009年3月11日